大腿神経麻痺、術後麻痺のリハビリ生活日記

人工股関節THAの手術で、大腿神経麻痺となりました。電気風呂にいれている状態が3年経っても続いています。地獄の苦しみと、沸き起こるような痛みで夜中に何度も目が覚める日々に耐えながらなんとか生活しています。看護師の私が?自分の病院で?なぜ私なの?時にくじけそうになりつつも、今は復帰し周りの人たちに助けられながら生活を送っています。術中で神経麻痺に苦しんでいる人がたくさんいます。でもブログありません。是非「コメント」をお聞かせください、一緒に話をしましょう。※記事の「QRコード」もご覧ください。

昔の出来事②「誓い」

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↑群馬のジャンゴのミートソースパスタをまねして作った自信作。

 

 

私たち家族は医師から辛いおもいをさせられる運命なのでしょうか?

 

わたしが息子を出産してから、人生がみるみる変わりました。

わずか4か月目で肺がつぶれていることが判明し生死をさ迷いました。出産時は仮死状態でした。

仮死だと母子手帳にもそう記入されてしまいます。

 

地元のかかりつけの医師は「無理な吸引分娩で横隔膜神経を損傷したに違いないから、病院か医者を訴えた方がいいぞ」と言ってくれたので、出産した病院と話し合いをしました。

たしかに出産前のエコーには肺が写っていて「何も問題はありません」と言われたのを思い出しました。

 

応接室に通らされ、院長と看護師が来てはじめからずっと平謝りです。その頃の助産師は産休、医師は退職でこの責任のいきどころはない、あの医師は他にも問題を抱えていたので辞めさせたと言われ、そのまま過ぎました。

病院からの謝罪の手紙は今でも残してありますが、紙切れ一枚です。それだけで済まされることではありません。しかし。医療裁判には時効があり、3年です。3年が過ぎれば何もなかったことになるなんて信じられない。

 

 諦められない私は、紹介された弁護士に相談しました、すべての資料を見たあとで「日本をあいてに勝てるわけないですよ、もう証拠保存もできないと思いますから、無理ですね」と依頼を断ってきました。

後からわかったのですが、その弁護士さんが担当している顧客が東京都庁だったのです。

 最初から言わないで全部資料を見たあげくに、断るなんてもう許せなかった。

弁護士も信じられない。そのような最中に主人が「もう、どうでもいいじゃないか!生きてるんだから」と。諦めざるを得ませんでした。このような家庭の問題は夫婦の協力なしでは解決できないことがわかっていました。

私はとにかく子供の命が大事だったので、治療を優先してかかりつけ医にすべてを預けました。

 

先生は4ヶ月の息子の命を救ってくれました。肺がひとつしかないわずかな小さな命を原因を見つけてくれて助けてくれました。

 

「自分の命は自分が救うものだよ、俺が助けたんじゃないよ、母ちゃんもがんばったじゃないか、だからあいつは強いよ丈夫になるから心配ないよ」

 

と。涙が止まらずにいました。

その反面、医療への猜疑心を打ち消すことができませんでした。

 

どうして、忙しいからと自分の思い通りに医師は好きなようにやろうとするのでしょうか? 

 

医師不足なのが究極の原因かもしれません、それでも医師を目指す人は特殊な人を除いては、困った人を助けるはずです。

そうみんなが信じてるから病院にいくのです。

 医師も人間だから間違いはある、たまたま私たちの運が悪くそのような医師と巡りあってしまったのかもしれません、しかし自分の手技で間違いをおかしたり、治療が失敗したのであれば、しっかり謝ることが一番大切だと思う。

 

私は何も信じられなくて、その時に何があっても私しか守れるものがいないなら、どうにかしなくてはいけないと、当時東京の日本橋にある大手不動産会社に勤務していた私でしたが、「絶対に医療知識を身に付けて、看護師になる」と心で誓いました。