大腿神経麻痺のリハビリ生活日記

人工股関節の手術で、大腿神経麻痺となりました。いつも電気風呂にいれているような地獄の苦しみと、沸き起こるような痛みで夜中に何度も目が覚める日々に耐えながらリハビリ中です。看護師の私がなぜ?自分の病院でどうして?なぜ私?時にくじけそうになりつつも、今は復帰し周りの人たちに助けられながら生活を送っています。術中の過誤での大腿神経麻痺は珍しく、ブログがありません。是非「コメント」をお聞かせください、一緒に話をしましょう。

昔の出来事⑦「決意」

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看護学生に鼻水を吸引されているところです。

よく鼻水は吸引してもらいました。鼻水で窒息しそうになるので大変でした。

 

 

 

肺の手術が終り、病棟にもどりました。

 

意識もゆっくりと戻り始め、おもちゃに手を出すようになったときは本当にうれしかった。

 

火傷や麻酔の件について、説明をしたいということで夫婦で応接室に通されました。

 

まずは謝罪です。当然ですがそこから始まらなければ怒りは収まりません。

そして、今回のいきさつの説明です。

 

 

内視鏡を置き忘れたのは、術中のために覆うカバーに隠れてしまったためだと言いました。

 

仮にそのことが本当だとしても、置き忘れることはないでしょう。途中で異変に気がつくことは出来なかったのでしょうか?

 

医療知識を何も知らなかったことが本当に悔やまれます。

 

せめて途中でもいいので気がついてほしかった。

「なにかおかしい、臭いがいつもと違う」と。

 

謝罪をされてすぐに、夫が「いいですよ、そんなに先生、頭を上げてください、生きてますから」と。

 

事前に夫婦でちゃんと話を聞いて保証や今後の治療費やどんな問題があるかなど聞いてほしいと頼みましたが、きっと夫は嫌だったんでしょう。人と争うようなもめるような事や問題を解決する場面ではほとんど逃げてきた人でした。

 

 

わたしは咄嗟に、テーブルの下で夫の足を蹴っていました。

 

でも、それで終わりです。

説明と納得。(インフォームドコンセント)それが医療行為の意思決定だからです。

 

「いいですよ、生きているから。」

本当にそれでいいのかその後もずっと悩みました。

 

わたしは関係したスタッフ全員に話を聞きたかったし、納得などしていませんでした。

うちの子がどうしてあんな痛い目に12時間も合わせられなくちゃならないのいか、なぜ、真っ黒に焦げるほど火傷を負わされているのか?

 わたしがもっと強くなって、でしゃばってでも聞けばよかったのに・・・

 

 何もかも私のせいだと悔やんでばかりいました。

 

きっと、夫もつらかったことだと思います。

 

 

でも夫には夫の仕事をしてほしかった。

 

この世の中には、母親にしかできない仕事があり、父親にしかできない仕事があるのです。

 

男は男らしくしてもらいたかった。

 

それが私の考える夫婦の基本なのではないかと今でも思います。

 

毎日自分をせめて眠れない日々が続きました。

その後、私は20キロ以上も痩せてしまい、骨だらけのスカスカの女性になり魅力もなくなったのでしょうか。主人は帰ってこなくなり、なんとその後何年も会うことがなくなりました。

 

離婚は後悔してないし、して本当に良かったと思っているから。

 

 

あのまま地獄の思いを一緒には過ごせない。

 

こどもの医療事故をきっかけに私の人生すべてが全く違う方向に進んでいきました。

 

最愛のこどもを授かっても、夫婦は紙切れ一枚でしかつながっていなかったのだと思いました。

 

夫の母親ですら疎遠で夫とは何年も顔を合わせていない、そんな実家とのつきあい方でした。

夫の実家の近所にいる必要はないと考え

私は実家に帰ろうと決めました。

 

ところが、当時は共有名義で家を購入していたため大変な思いをし売却をすることになりました。

離婚する夫婦にとっては共有名義ほど面倒な不動産売約はないのです。

夫の分の毎月の返済が怠るようになると、私に請求が当然のように来ます。夫と連絡してほしいというと、連絡しても電話に出ないそうです。2ヶ月分が遅滞すると、こんどは怖い声色のおとこの人が毎日「あなたが支払わないとどういうことになるかわかるか、ご主人もカードが使えなくなりブラックリストに載りますよ」と脅しにかかってきました。あんな一流の銀行からそのような脅しをされるとは思ってもみません。怖くなって夫の実家に相談しました。渋々でしたが2ヶ月分の負担をしていただきました。やっぱり母親です。音信不通の息子のために「しょうがないじゃない、あなた出せないんでしょ?もう、あのこはどうなちゃたのかしら」と何十万ものお金の都合をつけてくれたのです。本当にお母さんは苦労したのだなと改めて思いました。

今思えばほんとうに銀行から脅かしてもらって良かったと思います。あの時思い切って売買してよかった。今だったら借金で首が回らなくなるところでした。

 

決意と運命とはなにか近い関係があるのかもしれません。

 

家が売却できて、実家の近くで暮らせるようになりました。

 

実家からは職場まで2時間。保育所も職場の近くだったので、5時に起きて出発し、母親の作ってくれたおにぎりを車でこどもと食べながら、通勤しました。

 

私は実家に戻ったことで安心し、看護師受験は、来年のこどもが小学校に入学して、様子をみて受験をしようと思っていたころ、通勤途中で車を運転しながら、おにぎりを頬張るところで、ちょうど偶然目にしてしまった看板に「3次学生募集」をみてしまったのです。

  

運命のひもはどこでどのようにして結ばれているのでしょうか?

いまでは不思議でなりません。

 私は決意しました。「受験しよう」と。