大腿神経麻痺のリハビリ生活日記

2017年3月8日、人工股関節の手術で、大腿神経麻痺となりました。日々強くなる痛みと痺れ、24時間片足を電気風呂にいれているような地獄の苦しみと、沸き起こるような中心部からのしびれで夜中に何度も目が覚める日々に耐えながらも、リハビリしています。看護師の私がなぜ?自分の勤めている病院でどうしてこんなことに?なぜ私なの?時にくじけそうになりつつも、周りの人たちに助けられながら生活を送っています。術中の過誤による大腿神経麻痺は大変珍しく、ブログがほとんどありません。是非「コメント」をお聞かせください。お返事いた

昔の出来事⑥「ICUの看護師」

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こどもの手術が終わりその後、手術の報告を受けました。

やけどもしているため、ICUで一日だけ看護をすると言われ、わたしも一緒にいきました。
 
お腹の辺りをかぐとまだ、お肉の焦げた臭いががしました。

かなりの痛みを負っているのでしょう、子供の顔は真っ青です。

 
「特に胸のオペはかなりいたいはずです、脳に近いほど痛いのです、よくみていてください」と医師にいわれました。
 
 常時、麻酔薬がシリンジポンプで繋がれているため痛みは感じていないと思いますと聞かされオペ室からICUに移動しました。
 
しかし、顔色は蒼白、どうみても見たこともない異常な状態でした。母親というものはその違いにすぐに気がづくのです。「絶対になにかおかしい」と。

 

足に受けたやけどの痛みもあるのかもしれない。

 

きっと痛いんだろうな。わたしがかわってあげたい。

これでこの子の頭が痛みでおかしくなったとしてもわたしは

ずっと育てる。なにがあっても守る。

 

しばらく様子を見ていました。痛みなのか目は開けているものの、

焦点が合いません。目が泳いでいました。泣くこともありませんでした。
 
大好きなおもちゃを見せても反応がありません。          

音にも反応しません。


 
何かが起こっている間違いない・・・母親の感です。
 
担当の看護師は茶髪のかなり若い男性でした。
 
「僕が担当しますんで、大丈夫ですからお母さん、まかせてくださいよ。よろしく」
そういいました。

 

そして直ぐさま、目も上転して気を失いそうになっている青ざめたこどもに声をかけました。


「おい、(こどもの名前を呼び捨てる)、おかあさんもいるぞ、おまえなにやってんだよ、がんばるんだぞ」と
 
その言葉を聞いたとたん、死ぬほど

不安でいっぱいになりました。

 

医療機器などその当時見たこともありません。

知識もなにもなかったけれど、麻酔薬が入っている注射器をずっと見ていました。その後、わたしはとうとう、その原因をつきとめたのです。
 
 麻酔のチューブがつまっていました。

 


本当に恐ろしいことに、痛みを取り消す麻酔が最初から全く投与されていなかったのです。
現在ではあり得ません。定期的にきてマジックで印をつけたり、ダブルチェックもなかったと記憶しています。

 

気がついたのは10時間は過ぎていたことでしょう。

 

途中、「すいません、この麻酔さっきから全然減ってないんですけどほんとに大丈夫でしょうか」

 

2、3回は質問しました。その度、若い茶髪の看護師がきて最後には「これ動いてますからほらここ、大丈夫ですからね、おかあさん、そんなに減るものじゃないんですよ麻酔なんですから」
 
 
一般人です。何もわかりません。そう言われると言い返しようがありません。

 

それでも眠れずに我が子を観察し続ける他はありません。

そして、シリンジポンプに印をしておきたいと思いながらも、できないため、注射器の数字を記憶しました。


 いよいよおかしいと思い、看護師を呼びました。

「さっきから見ていますけれど全く減っていません」と。

 

今度はその若い看護師の顔がみるみる青ざめたのです。

すぐに上司のような看護師がきてシリンジポンプを調べ始めました。

はずして無理矢理手で押し込みました。

ビックリしましたそんなに減るようなものじゃない麻酔なのに手で力づくで押し込みました。

そこで思わず「やめてください」と声をあげてしまいました。


その時点で、すでに12時間は過ぎていたと思います。

 

朝を迎えていました。

 

麻酔医がきて謝罪しました。次に担当医もきて謝罪。

 関係するスタッフ職員全員が申し訳ありませんでしたと謝ってきました。

しかし
今から入れ直すのは患児には負担だと言うことでこどもにはそのまま何もしないで様子を見ると言うことをいわれました。

 

こどもは変わらずうとうとしては目を泳がせるの繰り返しです。

 

もうあの頃の事を思い出すだけでも気が遠くなります。

 

 

 

その後、

そのまま病棟へ移動することになりました。
 茶髪の男の看護師は青ざめていました。何度も何度も頭を下げて申し訳ありませんの繰り返しでした。

 

翌日も看護師長に連れられて謝罪しに病棟に訪れました。

頭がいっぱいで何を言われたかは覚えていませんが彼の名前だけは一生忘れません。

わたしは怒りません。

聞いていました彼の態度を。

 

別人でした。大へいな態度をやめて泣きそうな感じでした
いくら母親が訴えてもなにも聞いてくれない茶髪の男の子の看護師はその後どうしたのでしょうか?

 

その後、入院中一度も訪れませんでした。

 

大きな病院でも観察を怠るのです。当時の教育なのでしょう。看護師の性格もあると思います。

 

でも母親は見ているのです。必ず。

 

その看護師の名前は今でも。

 

 

 

 

 その夜は生まれて初めて睡眠薬というもを処方されてめられて眠ることができました。

 

病院の上空でヘリコプターが飛んでいます。

 

なんでだろう?

 

わからず寝ました。

 

その頃私たちと同時期に死んでしまったお子さんがいたのです。心臓の手術で

 

この病院は、一体どうなってるんだろう

はじめて病院の組織のあり方を感じました。