大腿神経麻痺のリハビリ入院生活日記

2017年3月8日、人工股関節の手術で、大腿神経麻痺となりました。毎日、右足の痛みと痺れと膝折れに苦しみながらも、リハビリに取り組んでいます。なぜ?こんなことに?どうして?私なの?時にくじけそうになりつつも、周りの人たちに助けられながら入院生活を送っています。術中の過誤による大腿神経麻痺は大変珍しく、ブログが少な過ぎるため意を決して始めました。是非「コメント」をお聞かせください。お返事いたします。☆マークを押していただければその方のブログ内にコメントできます。

昔の出来事③「希望」

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↑手作りのパワーストーンのアクセサリーです。

願いが叶うように作って家族にあげました。

 

 

 

むかし、大手不動産会社に勤務していたわたしですが、看護師になりたいと思いながらもやめることはできませんでした。

 

たぶん多くの働く女性がそうだと思いますが、大手に就職し、30才を越えた女性は結婚か、しなくととも、安定した時期に入ると思います。

資格も多くとり、わたしの場合は不動産会社なので宅建は持っていたのですが、そのあとに賃貸管理士、管理業務主任者、秘書、などの資格を取りました。自分の会社でしか生きていけないような環境でした。転職なんてほとんどは考えないと思います。安定しているのに誰が大手の会社を辞めるでしょうか?

しかし、その頃にはバブルが弾けてとても厳しい現実もありました。

 

私はこどもを育てながら、地道に仕事を続けられていました。あの頃はとても恵まれていたと思います。

それでも子どもは、保育所に泣きながら預けなければなりません。右肺を失い必死で片肺を保ちながら、おっぱいに食らいつく姿をみて子どもをあずけて働くというとこがこんなにも辛いことだとは思ってもいませんでした。

 

毎日泣くこどもをみて自分も泣きながら電車にのったことも何回もありました。

 

 

こんなことになったことが許せなくて、裁判にできないなら、他に方法はないのか、そんな医者ならこれからもっと被害にあってしまうこどもがいるのではないかと、不安になりました。

 

その頃はインターネットも現在ほど普及はしておらず、調べても解決方法はありません。しかし、「簡易裁判」という項目を見つけたのです。

 簡易裁判とは今でも変わらず存在します・・・

いまで言う、ググってみると

 

 

 

 

 

裁判官が,法廷で,双方の言い分を聴いたり,証拠を調べたりして,最終的に判決によって紛争の解決を図る手続です。 60万円以下の金銭の支払を求める場合に利用できる特別な民事訴訟手続です。 裁判官と一般人から選ばれた調停委員らなる調停委員会が合意をあっせんし,当事者の話合いによる紛争の適切妥当な解決を図る手続です。

 

 

これなら、相手に謝罪をさせることができると思いました。

そのためにおっぱいもあり、仕事もあり、夜はほとんど寝ないで書類を書き上げました。

 

いまでも書類は保育園の日誌と一緒に保存しています。

 

最後に医師の住所をつきとめる必要がありました。医師は二つ持っていたので大変なおもいをしたこともありました。

 

結局は大学病院の近くにアパートを借りていてそこがメインのうちでした

 

書類を送付し数日が過ぎた頃に、簡易裁判所の担当者から電話がありました。

「この内容は、簡易裁判ではありません、60万円で解決することではないのでは?普通に争った方がいいですよ、ちゃんと裁判すれば勝てますよ」会社にまで電話がありました。

 

ため息が出ました。

 

夫に話しても空の人。

「かってにやってていいよ、俺は関係ないじゃん。自分ばっかり偉そうなことするなよ」と。

 

たしかに、なにも相談しなかったのはわたしのせいですが聞き入れてくれなかったり「生きてるだけでいいじゃん」

なんて、そんなことよくいえるなといまでも忘れません。 

 

簡易裁判なのにそれすらできないなんて、不運なのですか?

 

 

日本はどうかしている、みんな必死で働いて、そして生活しているのに、なぜ?助けてはくれないのですか?60万円ですよそれでいいと決めてるのに、

わたしが何をしたというのですか?

 

運が悪い?ほんとうにそれだけですか?

 

回りのお子さんより全然、育ちが悪くおっぱいを飲むにも片肺のせいで必死です。「うっぱーはーはー」といいながら唇はいつも青ざめていました。保育所に保存用の母乳を預けても市販の乳首では飲みません。いつも「今日ものんでないのでしんぱいですが元気でしたけど」と言われうちにつれて帰りました。

帰るといつも大泣きです。土日は機嫌が良いのですが、平日はねむれません。なぜか不安で泣くのです。

おっぱいを吸わせていれば泣き止んでいました。

なので、卒乳はなんと4才でした。

 

主人は毎日疲れていました。わたしやこどものことなど、相手にしません。むしろ赤ちゃんかえりのように焼きもちをやきます。

喧嘩が多くなり、「あいつばっかりかまって、うるさい」 と、別の部屋で眠るようになりました。

こどももなつかなくなり、かわいくないのがわかるように父親がだっこすると、うそのように泣きました。

 

ほんと悪循環でした。

 

今は笑ってしまいますが、

 

肺が半分ないだけで生きるか死ぬかの暮らしを毎日していました。

 

その肺を戻すための手術をしなければならないとおもい、ずっと探していました。

 

主治医の紹介する大きな病院は辞めさせられた医師が所属する病院だったので信用できません。

 

土日の休みには子どもを昔ながらのおんぶひもで背中にのせ、よく近くを散歩していました。

 

帰り際のことです、「いつもうるさくでごめんなさい、お子さん生まれたんですね知らなかったです昔ながらのおんぶひもなんですね」と声をかけてくれた女性がいました。

1ヶ月まえに生まれたお子さんをおっぱいの形をむき出しにしながら、おんぶひもでわたしに声をかけてくれました。

 

「えーめずらしいですね、そんな抱っこひもをもっているひとなんていませんよ、どこで買ってきたんですか」と。

 

 

これが一番なんだよと母親がくれたおんぶひも。

母親は私のことを一番気にしてくれていました。それは母親のくれ

たおんぶひもでした。

そしてわたしの辛い環境を彼女は、すんなり話せるような魅力的な方でした。これまでのいきさつを話したところ、なんとわたしと同じマンションに住んでいたのです。いつもうるさくてというのは二階にいたからでした。何となく赤ちゃんがいるとは思っていましたがまさかうるさいとは思いませんでした。

 

それからとてもなかがよくなり、仕事をしていた関係で土日はだけはよく話をするようになりました。

 

すると旦那様が医師だということで、こどもの手術先を見つけてもらいました。

 

東京新宿区です。有名なところです。

 

直ぐ様、有給をとり、検査に向かいました。

 

担当した医師は小児外科の今は臨床医師ですが、当時は小児外科で一番偉いかたでした。

検査はなんと酸素を使って眠らせるような方法でした。

心配で死ぬんじゃないかと思いました。

まだ小さい4、5㎏のこどもです。

 

結果、体重が10キロになってから手術ですと言われました。

 

いまでは全く(´~`)信じられませんが、当時は、なかなか太れずに定期的に受診しましたが10キロにいきません。

 

8キロなら手術できると言われやっと入院を認めてくれました。これでようやく肺を戻してもらう手術ができるようになったのです。

 

わたしの「希望」がようやく叶う日がきたのです。

幸せの絶頂でした。これでわたしの戦いが終わると思っていたからです

手術前は・・・

 

今夜のメニューはなんですか?

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いま、何やら一生懸命自作料理を作っているようす。

 

二郎ラーメン風うどんだそう。牛脂を使うそうです。かなり男子色の濃いうどんになりそう。

 

私はお腹を壊してしまい、今日は一日トイレにこもっていました。

なにも食べていないのによくそんなに出るもんだと。

 

あっ料理中にきたない話になってしまった(^^;

 

生まれた稚魚の餌を焼酎グラスで作っているところです。

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何から何までアマゾンのお世話になりながら飼育を始めましたが、ブライングシュリンプ作りまでインターネットの情報にお世話になっています。

 

当の御両人たちはというと、かなり険悪なムードです。赤ちゃんどころではありません。ベタは相性が大切だそうです。次にタイミングと温度管理、水槽管理。

 

眺めているとしびれが紛れますが、あっという間に一日が過ぎます。

 

うーんなんか胡麻油の臭いと醤油の匂いもしてきた。

そろそろできそうです。牛脂たっぷりのうどん。

 

 

 

本日、結婚します。

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ベタくんのお見合い相手が見つかりました。赤ちゃんのベットもしっかり出来上がったので、今夜めでたく結婚させました。

 

でも、かなかな婚姻には至りませんん。

きっと花嫁が若すぎたのか、逃げ回ってます。

上手にかしこく、相手の隙を見ながらかくれんぼ、鬼ごっこの繰り返しです。

ベタの繁殖は初めてなのでどきどきしています。

 

雄がちょっとかわいそうになりました。もともと気の優しい男の子なのでうちの息子を見ているようで母親としては見ていてハラハラしています。

 

上手に相手を見比べているのかもしれませんが、隠れている相手を探すことはしないで巣づくりをしています。

 

情けないような、健気なようなきがして。

 

親というものはきっと、いつまでも気にかかるものでしょうね。

わたしの母もしびれや痛みについて泣いています。

 

どうして?まだ?痛む?どうすればいい?

そう訪ねてきます。

 

情けなくて、辛くてかなしくて、歯もボロボロです。

 

マウスピースが割れてしまいました。

自己嫌悪としびれのストレスで自然にかみしめてしまうのです。

 

 

こんなに親を悲しませんるなら、最初から手術なんてしなければ良かった。

 

そう思います。

足の痛みがよくなって今より動けるようになりたいと思い受けた手術がこんなことになるなんて誰が予測できたでしょうか?

 

麻痺して動かない足をリハビリで訓練しながら毎日本当に毎日、無理矢理動かしています。

 

時には「このくそ足、ばかやろうめ、」と叩きながらリハビリをして泣きながら続けています。

 

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これは自動で動くサイクルマシーンです。リハビリの先生と相談してこれならいいと、購入しました。

 

でも、やり過ぎて右足がとれてました。

 

麻痺しているのできっと負担がかかったんでしょうね

 

保証書で新しいものが来たので、今はまた続けられています。

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 あとは腹筋を鍛えなさいといわれたので、ワンダーコアで毎日300回目指していますが、なかなか、しびれと股の痛みがひどく、飲み薬もあってやる気が起きない日もあります。

 

毎日、続けることって本当に大切なことだと今更ながら実感しています。

 

結婚生活もそうですが、何気ないかわりない日々を大切に思うことが一番です。

 

わたしも早く今までのように忙しくてもかわりない日々を過ごしたいと思います。

 

昔の出来事②「誓い」

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↑群馬のジャンゴのミートソースパスタをまねして作った自信作。

 

 

私たち家族は医師から辛いおもいをさせられる運命なのでしょうか?

 

わたしが息子を出産してから、人生がみるみる変わりました。

わずか4か月目で肺がつぶれていることが判明し生死をさ迷いました。出産時は仮死状態でした。

仮死だと母子手帳にもそう記入されてしまいます。

 

地元のかかりつけの医師は「無理な吸引分娩で横隔膜神経を損傷したに違いないから、病院か医者を訴えた方がいいぞ」と言ってくれたので、出産した病院と話し合いをしました。

たしかに出産前のエコーには肺が写っていて「何も問題はありません」と言われたのを思い出しました。

 

応接室に通らされ、院長と看護師が来てはじめからずっと平謝りです。その頃の助産師は産休、医師は退職でこの責任のいきどころはない、あの医師は他にも問題を抱えていたので辞めさせたと言われ、そのまま過ぎました。

病院からの謝罪の手紙は今でも残してありますが、紙切れ一枚です。それだけで済まされることではありません。しかし。医療裁判には時効があり、3年です。3年が過ぎれば何もなかったことになるなんて信じられない。

 

 諦められない私は、紹介された弁護士に相談しました、すべての資料を見たあとで「日本をあいてに勝てるわけないですよ、もう証拠保存もできないと思いますから、無理ですね」と依頼を断ってきました。

後からわかったのですが、その弁護士さんが担当している顧客が東京都庁だったのです。

 最初から言わないで全部資料を見たあげくに、断るなんてもう許せなかった。

弁護士も信じられない。そのような最中に主人が「もう、どうでもいいじゃないか!生きてるんだから」と。諦めざるを得ませんでした。このような家庭の問題は夫婦の協力なしでは解決できないことがわかっていました。

私はとにかく子供の命が大事だったので、治療を優先してかかりつけ医にすべてを預けました。

 

先生は4ヶ月の息子の命を救ってくれました。肺がひとつしかないわずかな小さな命を原因を見つけてくれて助けてくれました。

 

「自分の命は自分が救うものだよ、俺が助けたんじゃないよ、母ちゃんもがんばったじゃないか、だからあいつは強いよ丈夫になるから心配ないよ」

 

と。涙が止まらずにいました。

その反面、医療への猜疑心を打ち消すことができませんでした。

 

どうして、忙しいからと自分の思い通りに医師は好きなようにやろうとするのでしょうか? 

 

医師不足なのが究極の原因かもしれません、それでも医師を目指す人は特殊な人を除いては、困った人を助けるはずです。

そうみんなが信じてるから病院にいくのです。

 医師も人間だから間違いはある、たまたま私たちの運が悪くそのような医師と巡りあってしまったのかもしれません、しかし自分の手技で間違いをおかしたり、治療が失敗したのであれば、しっかり謝ることが一番大切だと思う。

 

私は何も信じられなくて、その時に何があっても私しか守れるものがいないなら、どうにかしなくてはいけないと、当時東京の日本橋にある大手不動産会社に勤務していた私でしたが、「絶対に医療知識を身に付けて、看護師になる」と心で誓いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昔の出来事①

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↑息子が疲れてリビングのソファーで寝てしまった(^-^;

 

毎日、身の回りの事をやってくれているので、つかれたんでしょうね。

かわいそうになりました。

 

一緒にテレビ見ていたのに、いつのまにか、こんな狭いソファに寝てるなんて、久しぶりの光景です。

 

洗濯したり、ごはん作ったり、ゴミ出ししたり、高校生でよくやってくれてると思う。感謝です。

 

朝は自分で起きて、自分で学校にいくし。

花嫁修行ならず花婿修行です。

今は男も料理、洗濯、掃除くらいはできないとお婿にもらってもらえないからね。笑 

でも、ありがたいです。

 

家族は見方、いつでも心は一緒。

いろいろ子育てに悩んだことが多くて、大変だった頃を思い出しました。

 

この子は小学生に上がった頃、2年生になるまで教室にいませんでした。

学校の図書室にいたのです。本が好きで教室のようなざわざわするところが苦手で授業は受けたことがありません。

体育では体操着に着替えず授業はでない。なので体操着で登校したこともありました。

忘れ物も多く、連絡帳は書いてこないので隣の女の子にずいぶんお世話になりました。

 

習い事をさせても「お母さん、息子さんは皆と一緒にやれませんのでそろそろどうでしょうか?」と水泳、野球、塾をやめさせられました。

 

2年生のとき河本先生という女性の教師が担当して変化があったのです。

まず、教室にいない原因を確認して、席は黒板の前で端にしてミニ図書館を作ってくれました、棚を作ってもってきてくれて好きな本をおいてくれました。

息子はそこで本を読み教室からでることはなくじっとしてることができました。

一日の心の変化や出来事を専用にノートを作成して合計で20冊以上も先生が記入していました。特別学級にいくかいかないかとくとき、「大丈夫ですあのこはやれますから」と

そんなことは親ですら思えないことでした。

 

そもそも、息子は生まれたとき、急速分娩のせいで首から繋がる横隔膜神経を外傷され横隔膜神経麻痺となりなんと、右の肺がつぶれてしまったのです。

それに気がついたのは4ヶ月のときでした、熱があり小児科にかかったときにレントゲンをとったら医師が「ちょっと大変なことが起きている」とレントゲンを見たときビックリしました右肺が全く映っていなくて真っ黒でした。胸のところに大腸まで映っていました。

肺に大腸なんてあり得ないとおもいながら医師の話を聞くと、すぐさま緊急入院でした。4ヶ月で入院?しかも?片肺がない?よくわからなかったけれど、熱の原因は細気管支炎でした。

入院した夜から片肺のため呼吸がうまくできなくなり、あっという間に症状が悪化し先生から「今夜が山場になる。気を確かに持ちなさい」と言われました。私は気が動転しパニックになりました、あんなに自分がわからなくなったのははじめてでした。先生に懇願し「助けてくれるなら何でもします」と言って財布を差し出しました。ビックリした先生はこう言いました「このお金で治ったらあいつにおもちゃを買ってやってくれ」と。その後特別な治療をしてもらい命をとどめてもらいました。

その後も先生にお世話になり、いまでも覚えていてくれています。

死ぬような思いをした原因は出産時の分娩でした。

思い返したくもありません、本当に地獄の出産でした。

その当時は離婚した夫の薦めでO区の都内の病院でした。自宅で少量の破水をして入院しましたが、6人ほど出産まちでした。わたしの内診をした先生はその時多くの破水をしたのをみて「なんだよベットがきたないよごれた、はやく変えろよ」などと言って怒っていなくなりました。内診によって多くの破水をした私はその後まもなく陣痛が来てしまいました。夫がようやく駆けつけて来たのですがなにも役に立ちません、痛くてのたうち回っていると助産師さんが来て「頭が出ているじゃないの、早く分娩だいにいかないと」と歩いてしかも三段くらいある登りだいを死ぬおもいで上らせました。ようやく出産できると思っていたところに、隣にも同じように出産間際のかたがいて、医師は一人。「何でこの日に俺ばかりなんだよ、冗談じゃない」と暴言をはいたのです。分娩台にいる隣の女の子も不安そうでした。

いよいよ出産の始まりです、医師が来て「もう吸引だなと」カップを付けて吸引分娩になりました。それはもうあっという間です。陣痛から3時間で生まれました。生まれたときは息をしていませんでした。仮死状態でした。泣くこともなく、私は不安でした。医師が吸引をしてようやく鳴き声が聞こえ安心しました。あとはどうなるのかわからずじっとしていると「すごいきれてるからこれから縫うけど、子供のために麻酔は使わないよ」とそのまま1時間半も地獄世界でした、麻酔なくあれだけ裂けてしまった、肛門まで裂けてしまったなん十センチもの縫合にぎゃーといいながらはじまりました。途中で「もういい」と隣の出産した女の子の縫合に当たりましたが、となりのその子は若いこで最初から我慢できなくで泣き叫び始めました。「もうみんなうるせーんだよ、もうやめた」とその場をあとにしてどこかに消えてしまったのです。ありえません本当に、出血して縫合を待っている二人の患者を前に消え去るなんて。助産師がきて「ごめんなさい本当になんとか先生をなだめてきますからね」と言って、しばらくしても どってきました。医師が「なんだよがまんできるのかほんとに」といってまた縫合が始まりました。終わったあとの出血量は1200ml以上でした。私はふらふらしつつも車イスで保育器にいる自分の息子を見に行きました。地獄の出産が今終わったのです。

出産は生きるか死ぬかと言われることがありますが、死ぬ地獄を味わいました。

でも、その先生はあとから問題があり署名活動でやめさせてくれと言う苦情があったそうでT立病院をやめたそうです。今は千葉の野田市にあるところで開業をしますが、もう関係ないです。だけど絶対に忘れない、あの時のあなたの態度、言動すべてぜったいに許せない。たぶん死ぬまで。

こんな出産をしたから、私は二人めなんて生みようがありません、そしてその後の子供の病気、手術のせいで夫婦なかも壊れました。

そのあともいろんな事がありました。

 

きょうはもうもう無理。あの頃のことをおもいだすと気持ちが悪くなってきてしまいました(´_`。)゙

 

続きを次回書きます。

 

息子の手料理

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↑息子の手料理です。レバニラと味噌田楽。味噌はおばあちゃんの手作り。チョレギキャベツは息子の創作料理らしいです。

 

 

今夜はとてもうれしかった事がありました。

職場のなかまが心配して電話をかけてくれました。有難うございます。

引きこもり生活ですが、なんとか励まされて頑張っていきたいと思いました。

 

家の真ん中に水槽をおくと風水的にはかなりいいことが起こるらしいです。

きっと、ベタの水槽の効果が出てくるとおもいます。

繁殖して増やしていこうかとおもいます。

 

歩くとしびれがすごいので、包帯を巻いてます。

でも、それで楽になると言うことを発明?できたことも良かったしこのところ薬のお陰なのかふらふらしつつも自主トレもがんばってやれるようになりました。

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こんな感じでベットにくくりつけて、動かせる筋肉を衰えさせないようにしています。

早くしびれと痛みがなくなりますように。

お腹いっぱいなので寝ます。食って寝るの生活で太らないか心配だわ(^-^;

 

ブログまた始めました🎈

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↑2代目のベタちゃんです(お名前募集中です)

 

 退院後、約1ヶ月ぶりにブログを再開することにしました。

ここ数週間、しびれが薬では押さえられなくて歩くこともままならない状態でした。

朝はベットから起きようとすると痛みが来たと思ったとたん、足を動かすとびりびりと痺れが走り

なかなか起き上がれません。引きこもり生活で家から出ません。

 

そこで、寝る前に水と薬をベッッドサイドに用意して起きたら動かず、薬を取って飲む、効果が出始めた頃に起きるという方法にしたのですが、薬の効果で眠気が強いとお昼頃まで寝てしまうこともあり、普通の生活にこのまま戻れないんじゃないかという不安で一杯になる。

 

今週1ヶ月ぶりに受診して、薬を二倍にしました。

①トラマール25mg 2錠 朝 昼 夕

②リリカ75mg 2錠 朝 昼 夕

サインバルタ20mg 朝 夕

④メコバラミン500mg 朝 昼 夕

⑤その他 下剤、胃薬、抗不安薬

効果がではじめているようで、今はとても楽ですが、もうくらくらしてめまいがすごい。

ふらふらしながらブログ始めてしまいましたが、ブログを始める気持ちになってよかったなとおもいます。

入院中のように、毎日更新はできないと思うけど、できる限りがんばります。

山頂を目指そう


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自宅のマンションから、一眼レフでとった富士山です。

 

 

本日、退院となりました。

いつの日かあの富士山の山頂を目指します。

 

原敬之さんの名言集です。

 

この世に「不運」は
ありません。
これからどう生きるのか。
人生を見つめ直す作戦タイム
と受け止め、
内観しましょう。

 

たとえ今が苦しくても、
それは「今が試練のとき」
なのだからであって、
永遠に続くわけではないと、
人生を長い目で見る余裕を
持つことが大切です。

 

試練のときこそ、何かのせい
にして逃げるのではなく、
自分の心を見つめてくだ
さい。
スピリチュアルな視点で
見れば、試練は、たましいを
成長させるための磨き砂
です。

 

暗い顔をしていても苦悩から
解き放たれるわけではありま
せん。
そればかりか低い波長は、
負のパワーを増幅させて
しまうのです。
苦しいときほど
笑ってください。

 

孤独には、
たくさんの豊かさが
内包されています。

 

 

これから自宅にもどって療養するなかできっと「孤独」に苛まれることになるでしょう。一人でのリハビリほど自分の力量を試されることはないと思うから。リハビリの山頂を目指してがんばりたい。今の私の山頂は装具なしで転ばず歩くということ。「歩く」という単純なことが、どれだけ大変なことかを私は知ることができたのだから、これからもできる限りのことをしたい。

「死ぬこと以外はかすり傷」なんだそう。いつかかすり傷と思えるようになりたいし。

社会から見放されたと感じることなく前に向かって進んでいこうと思います。負けてもいい、なにかを学ぶことができれば。今はそう思って退院を迎えたいと思います。

いままで、応援して励まして支えていただいた皆様ほんとうにありがとうございました。

 

 

⑤4月11日~4月20日(ブログ開始するまで)

 術後5週~6週ころの日記

 

4月11日

今日は朝から立っただけで足が痙攣を起こしてしまった 。リドカインの点滴をしながら、FNBを挿入してもらった。助かった。ほんと さっきまで 立った刺激だけで キーンと痙攣したのに、点滴して、ようやく立ってトイレできた。少し漏れたけど。

風呂には 直角に腰を曲げたまま、おばあちゃんのようなカッコで看護師さんに全部やってもらってようやく入浴した。

FNBを入れてもらって、コンビニに行けた。トイレ行ける。よかった。昨日、あまりの痛さで主人に愚痴を言い過ぎて口喧嘩となった。痛くて痛くてどうしようもなく、当たってしまった。毎日来てくれていたのに本気で起こらせてしまって、もう来るもんか馬鹿野郎と帰ってしまった。いまメールで痛みが落ち着いたと報告したら来てくれるって、よかった。あの人がいないと何もできない私に気がついてしまった。

リドカインの点滴は負担が多すぎるので、やめて内服薬のメキシレチンに変わった。

今夜は眠剤飲んでみたけど眠れない。毎日2錠もデパス飲んでるのに、なんでこんなことになったのか、考えるととてもじゃないけど辛く眠ることなどできない。手術後、何度死んだほうが楽かもしれないと思ったか、一番辛いのは一番辛いひとが誰なのかということを忘れているひとがいたり、私のせいで辛くなった人が増えてしまったり、医師はわたしに 麻痺という 歩けないという 過ちをおかしたのに謝罪もない、悪いことをしていないわたしにどうして謝らないのかがわからない。痛みがなく歩いてどんどん仕事ができるようにと 受けた手術なのに、いまは 気の遠くなるような痛みに24時間、毎日耐えている。もう34日間も。先日は若い理学療法士に「なんで麻痺してるんですか、何で痛いんですか」と聞かれた。とてもひどい質問で涙が出そうになるのをこらえ「あなたはもう少し勉強が必要だ」と答えるのが精一杯でした。そのひとは前日当日の情報はとらずカンファレンスにも出ていないとのこと。ある薬剤師は「この薬はがんの痛みだけに使うものです、ほんとうは 使えない薬剤ですそんなに痛いのですか」と聞いてきた。私は「いまここから飛び降りてもいいくらいの痛みです」と答えるとプイッと背を向けて病室から出ていった。医師はいろいろな痛み止を処方してくれたり、処置を施ししてくれ、わたしの痛みと向き合ってくれていて感謝しています。 でも、こんな状態になるのであればこの手術はしていない、手術前の説明では、切る場所が神経を損傷する可能性はあるとだけ言われただけです。歩けなくなる、痛みがひどく24時間苦しみ、たくさんの痛み止めを飲むようになるとか、死にたい、生きていけないなどと感じるようになったり、不安になり眠れなくなるなどの説明はなかった。患者となってはじめて感じた。医療者はもっと、辛いのはだれかを考えるべきだとおもう。毎晩こんなことを考えながら眠れない日々でも、わたしの回りにはまだまだ頑張っているひとがいて、朝になると元気な声をかけて励ましてくれる人もいる。働くって素晴らしいことだなと思う。人を元気な気持ちにさせるって良いことだな。元気な声を聞くために今夜はもう目を閉じようかな。

メキシレチンは神経には効果あるように感じるけど 鼠径部には効果なし やっぱり トラムセットが効くと思う、いたくない。先生が「やっぱりかたい 癒着してるな」と昨日 FNBいれてる途中で呟いた。 さすがにあれだけの時間7時間以上も手術で押さえられた鼠径や靭帯だから癒着しない方がおかしいだろう。FNBのあとはいたみは軽減してトイレにいけるようになったしベット上にいる限りではいたみは感じない。動けばすごいいたくなる。 これに耐えて こそ リハビリなんだろうな。 午後から主任が ベット上にCPMをもってきてやってくれるそう。先生の案らしい。 左足が退化しないように今日からきたえよう。

 

4月12日 

今日はいろいろありすぎて何から日記にしようか、時系列で朝起きてFNBの効果に驚かされた普通に起きてトイレに行けるなんて。でも鼠径部のいたみは変わらずトラムセットで十分効果あり。もうこうなると 効果ある薬の探り合いみたいな感じになってきた、昼に息子が来てパンたべてそれから普通に車イスに座っていられた。2時半から病棟の先生と家族の病状説明。さすが先生よくわかるように説明してくれた。先生が「なにか言いたいことがあれば」といったので、じぶんの思いの丈を言った。昨日の夜中にかいた日記のことの半分くらい話せた、昨日日記かいていて練習しておいてよかった。そのあとリハビリは2階で、1時間も、結局は痛みが脳を支配してるなら脳を騙していこうと言うことになって、地道に動かせる範囲を広げていくことになった。痛みのメカニズムの勉強もついでにやろうと本が届いたので今日から読みふけるとしようかなあ。

整形外科医は「足持ち3年鈎持ち8年」なんだそう。誰だろう私の足の鈎もちしたのは?

 

4月13日

今日は朝から忙しかった。トイレと身体を拭いて着替える、おそらく普通なら5分くらいの出来事が10倍の50分ほどかかった。しかも必死に足の痛みをこらえて。とにかく痛い、毎日何気なくしていることがこんなに大変になるなんて思ってもみなかった。でも何時も思うのは、こんな体験をする人なんてそうそういないからむしろ、珍しいので、記録に残そうと思って毎日、日記をかいている。それも無料のソフトで。これバグったら泣いちゃうな、かなり愚痴ったり泣きまくって、いろいろ書いているからあとから読み返したい。

今日は感謝の日だな。昨日からなんだか鼠径部がひどくいたくなってきて、原因がわかった。ST主任さんにマッサージをしてもらい痛みがとれた。全くぜんぜん動かさないから痛みが出たと思われる。リハから戻ったらこんどは看護師さんが足浴をしてくれた。垢がすごかった。スタッフに本当に感謝だな。

 

4月14日

朝はいたくて起きてしまう。何がいたいかわからないくらいどこなのかも、とにかくいたい、足のつけね?鼠径部?太もものケイレン?もう何がなんだかわからないくらい。一番辛いのは、朝から痛いこと。そしてこの痛みが誰の仕業なのかとかも考えてしまう、もし、神様なのだとしたらわたしに何をメッセージとしているのか、悪魔の仕業ならわたしが何をしたからなのか?そう考えると答えが探せない。何かの罰?試練?この痛みは何を意味しているの?はてなが一杯になる。今日の夢は電車で遠回りをする夢。すごく遠くて焦って近道のルートを探して電車に飛び乗るの。うまく言ったけれどそれがなぜか高校生の時にのってた電車。うーん、日記をつけていたら少し訳のわからない痛みが楽になってきた。脳が痛みの閾値を上げてきたからかな?今日はどんな一日になることやら。回り道してもしっかりまえをみてあるきなさいと言うことかな夢の意味って。

 インターネットで

電車の夢は 基本的には、あなたが目標に向かって順調に進むことを暗示しています とのこと。発車間際の電車になんとか乗り込む夢は、
あなたが新しい成功への機会を手にすることを暗示する吉夢です。特急電車など、
普通よりも早く目的地に到達できる電車に乗る夢は、
前進するエネルギーの高まりをあらわします。
うーん これって、どうとらえればいいのだろう

 朝起きてから今まで痛くて、死にたくてどうしようもなかったのに今は全くいたくない、どこもいたくない。痛みは人間の防御反応だそうです。わたしのからだのどこに警告を出しているのでしょうかね、確かに今日は股関節の痛みは動かしていないせいだとわかったし、今日からリハさんに股関節を動かしてもらえるようにした。いつものFNBは防御反応を無視しているのかもしれない。

 

4月15日

昨日のあさより痛みが少ない、痛いのは足のつけねと鼠径部、あと太もも全体。今日珍しく寝坊して朝御飯ギリギリに起きた 二度寝したんだけど、寝るっていいね。久しぶりに元気なあさを迎えた気がする。今日はお父さんの通院日、わたしがこんなんだからお母さんには 迷惑かけて、退院したらおかあさんに親孝行しないと。

 やっぱり鼠径部通は変わらない。ずっと仰向けに寝てるからかも。足をできるかぎりガニ股にしてみたらちょっと楽になったんだけどまたすぐじーんじーんって何とも言えない激痛じゃないけど筋肉が腐っていくような痛みっていうのかな、低温で茹でられて言うっていうのかな、ねじられてるような痛みかな。いまはその痛みがつらい、あとはなんともない。リハビリ疲れたんだろうな。

 

4月16日

今日はじめてのつぶやき。ずっと悩まされていた あの 鼠径部痛の原因がわかってきた確実じゃないけれど、リハビリ中にわかった。足を曲げていると痛いことがわかった。要するに ST主任さんが 腸腰筋かもしれないと言ったところで、あっそうだとおもった。新しくいれた人工骨カバーの上に腸腰筋が今のっかって まだなれていないからだとおもう
そこで ここに三日 歩行訓練やら脚まげやらをやったもんだから、痛みが出たんでしょう。1つ問題解決、今はまっすぐにしているけれど、ずっとこのままじゃだめ、ならしていかないと。筋肉も相当落ちた。今日ふくらはぎの頸骨、ひ骨が目立ってきた。

 

4月17日

もういや、股関節の痛みが今はマックス。久しぶりにボルタレンを挿入した。10時からリハビリだし。でもリハさんはいたいからあまり無理はしないとおもうけど。なんで痛いんだろう。どうしよう、個のまま一生この痛みが続いたら、死ぬ他ないな。あと 腰から持続の一生つける痛み止なんて絶対嫌だ!ペースメーカーみたいに植え込むなんてお断り。絶対に許さない、実験台にしないでよ。ふざけるな、とにかくこの痛みをどうにかしてほしい。股関節がいたいの、ふとももじゃなく、関節がいたい。はきけがする。いたいいたい、痛いんだってば。ボルタレン効かない。あさ排便もあったし痛みはそれだけでも違うのに便しても痛みがある。死んだら負けだよなやっぱり、戦うぞこの痛みと。トラムセット2錠のんでもだめ。座薬もまだ効かない。どうすれば。やっぱり まっすぐに寝てるしかないのかな。

脊髄刺激療法なんて絶対に無理。だって痛み半減くらいで歩けるようになるかっての。希望は 1痛みをなくす 2麻痺を直す 3歩きたい 4仕事復帰 それだけなんだから。なんでこんなめに。おかしいでしょ。手術しないで、腸腰筋の腱をぶったぎればよかったの?それもおかしいでしょう?

 痛みと戦いながら、一体なにをしていればいいのかわからないから日記などをつけているんだよね、やっぱりブログをやろうと思った。とりあえず アメーバじゃなく FC2 というほうが見映えもいいらしいと。やるかなあ。

 

4月18日

今日は股関節がいたい上に腰までその痛みが響いている。いま先生が来た。昔はこのFNBを1ヶ月くらいいれていたこともあった。と呟いて帰った。(どういう意味?)

 

4月19日(ペインコントロール介入日)

リハビリ終わった。最近ずっと股関節がいたくて今日、先生が麻酔科の偉い先生をつれてきてみてもらった。しかもリハ室で。背中からブロック注射を試みたいということになったんだけれど(ヤル気満々ですでに片手に同意書持参していた)うつ伏せになれないことが判明し、しばらく飲み薬を(リボトリールという抗てんかん薬)追加して様子を見たほうがいいと医師が医師にアドバイスしている。
FNBを一旦今日は抜いた。今後もFNBは継続。1週間後ごとに風呂にはいりつつ交換だそう。しかし、一体クスリを何錠飲めばいいのか聞いたら、若いから大丈夫よなんて平然と先生、言うけどあんたよりあたしは年寄りなんだから、それより麻酔科の偉い先生のほうが若い気がしたけど敬語使ってたから、あの偉い先生何歳なんだろう。

 

4月20日

昨日いってたリボトリールを始める気配はない。あさから痛みで目が覚めるなんて、憂鬱でしかたがない。昨日、FNBを抜いたのもあるからしょうがないけど、しびれも強いし、なんといっても股関節がいたい。昨日の有名な先生が言ってたけど、股関節手術しすぎてるし、傷も多いからいろんな痛みが出てきてるって。でもそこを何とかするのがペイン医師の役目だし、病院の義務です。好きでこうなったわけじゃなくて、手術中に神経をいじりすぎたという、はっきりとしたミスなのだからしっかり責任をとらないと訴えるからね。なーんて心のなかでさけびつつ今日は朝から気分が悪い。でも1週間ぶりのシャワー浴ですっきりした。ベットに座れるようにもなったし、なんでこんなめにと毎朝おもうのは自分もつらいからやめておこう。なにかつぎの目標。例えばこんな目にあったのならこの私がきることを探してみよう。

明日からブログ開始するか。

とりあえずリボトリールってなんだ?

抗けいれん剤

主な疼痛改善の作用機序として、 神経細胞膜のNa+チャネルに作用し、Na+チャネルを阻害することにより、神経の興奮を抑制する。またGABA受容体にも作用し、過剰な神経興奮を抑制する。ベンゾジアピン系で抗けいれん薬としても使用されるリボトリール (クロナゼパム)は、GABAニューロンの作用を特異的に増強する。ガバベン (ガバペンチン)は保険適用されないが肝臓での代謝をほとんど受けないため、薬物相互作用の影響を受けにくいという利点がある。

 

リボトリール (クロナゼパム、ランドセン)

難治性疼痛のコントロールリボトリール0.5~1mgがしばしば使われる。数日後に蓄積性の眠気を生じることがあるが、大きな副作用はなく、不眠がある場合には使用しやすい治療薬である。

クロナゼパムはベンゾジアゼピン系薬と呼ばれる種類の薬で、「脳の神経興奮を鎮める物質」の働きを強めることによって、異常な興奮を抑える作用がある。つまりベンゾジアゼピン受容体を刺激することで、神経細胞の異常な興奮を抑える作用を持つ。

神経の興奮にはNa+、Ca2+、Cl-などのイオンの動きが関わっている。Na+、Ca2+は興奮性のシグナルで、Cl-は抑制性のシグナルである。元々細胞内はマイナスの電荷を帯びており、ここにプラスの電荷をもつNa+が細胞内へ流入すると、細胞内の電荷がプラスへ転換される。この現象を脱分極と呼ぶ。脱分極が起こることで、神経の興奮が伝わってゆく。一方、マイナスの電荷をもつCl-が細胞内へ流入すると、先ほどとは逆に、細胞内がマイナスへ傾き過ぎてしまうため、なかなか脱分極が起らなくなる。つまり、神経興奮が抑えられてしまうことになる。体には「Cl-」の流入に関わる受容体」が存在しており、これをベンゾジアゼピン受容体と呼ぶ。ベンゾジアゼピン受容体の刺激作用が刺激されれば、Cl-が細胞内へたくさん入ってくるようになり、異常な神経興奮を抑制できるようになる。なお脳の神経でCl-がたくさん流入するようになると、脳機能の抑制、つまり、鎮静作用が起こる。そこで主な副作用としては眠気(13.9%)やふらつき(7.6%)などが知られている。

 本当に開始するのかなぁこんな薬こわいよ、抗けいれん薬?

 

日記を読み返してみて(2017年8月10日)

手術から5ヶ月が経過しているいま、痛みは点滴に頼らず、内服薬だけで押さえられている。あの頃はほんとうにかわいそうに思える、まだ4ヵ月前のことだけど、自分のことながら、良く頑張ってるなと思った。あの地獄のような痛みを毎日毎日泣きながら。

それでも、新たにチェンジしたリハビリさんはほんとうに真剣に痛みと向き合ってくれマッサージや痛みを回避する方法を考えてくれた。持続で麻酔薬を点滴していても鼠径部が痛み、どうすることもできなくて座薬を使用してみたり薬を増やしてみたりとやれることを試している。でもペイン専門の医師が介入したのは4月19日~であり、遅いと思う。なぜペインクリニックと言う外来があるのに早期に対診を依頼してくれなかったのだろう。今となっては遅いけれど、あまりにも苦痛が長すぎる。いまでも大量の薬はのんでいるが、それでもあの頃の痛みはなくなったし、しびれも徐々に我慢できるようになってきている。

4月21日~はブログを始めている。痛みをまぎらわせるにはとてもいい方法を見つけたと思う。がしばらくは平行して日記もつけてブログもやったその間は痛みを忘れられるし記録も残せるし写真も残せる。一石三鳥だと思った。

このブログを読んで、誰でもいい、何かの役に立てたら、痛みで苦しんでる人は沢山いる、その痛みをどうにかしてあげたいと思っている人も大勢いるから。からだが麻痺してしまう感覚、戻っていく感覚は痛みと同じで、そうなった人にしかわからない、うまく伝えられない。24時間つねに痺れているっていうのは、痛みよりもつらいかもしれない。そんな気持ちを伝えたくて始めた。

今、しびれと痛みを薬でコントロールできるようになり、転んだりはしているが、試験外泊もできるようになった。明日はいよいと退院。長かった入院生活、大腿神経麻痺と戦っている方からも応援してもらっている。これからも自分にも痛みにもしびれにも負けずにまだまだリハビリをがんばります。転ばないようにね。( =^ω^)

 

④4月1日~4月10日(術後4週)

過去の日記④/①②③④⑤

 

4月1日

やっぱりあさは4時にめが覚める。めが覚めたとたん激痛。鼠径部と膝上が痛い。ずんずんじりじり動かすとぎこぎこ、膝はぴりぴり苦痛。打撲したアザを押している痛みがする。
結局、FNB持続麻酔の効果はなかったかも、持続注射より直接さしてもらったときが一番聞いた。

 

4月2日

夕べ鼠径部が痛くて、16時にリドカイン注をはじめて開始した。でも20時くらいには痛くなってきて4時間くらいしか効かない。内服でごまかして眠剤を飲んで就寝した。でも痛くてめが覚めて2時頃にまたリドカイン注をやって、ようやく寝て7時にめが覚めた。睡眠時間はとれているけど、睡眠の質は最悪だとおもう。朝はトラムセット2錠が当たり前。いま10時になる。うずうずじんじんしてきた、今日のリハビリはベットでやる。足を曲げると鼠径部が痛い。

 同じような麻痺で悩んでる人のブログとかないのかなと探したら

一つあった。

 

ネットのブログより(股関節術後の大腿神経麻痺の女性で漫画家?)

 

実は手術後2週間目に大腿神経麻痺があることが発覚しまし
初めて聞いたときは、ふ~ん、程度にしか思いませんでした。
ですが、回復に時間がかかるという事を、歩行練習が始まってから徐々に感じました。
悩んだこともありましたが、ようやく気持ちを綴れるようになりましたので、ご参考になればと思います。
まずは、大腿神経麻痺がどんな症状なのかまとめてみました。
大腿神経麻痺とは
太ももの前面の神経麻痺のこと。
足を延ばした状態で、足首や膝などを上げることができず、膝を伸ばす力が失われる。
私の場合、神経が何らかによって圧迫されてしまい、麻痺が残ってしまったようです。
人工股関節でも大腿神経麻痺の症例が少数あるとのことです。
普段の生活での影響階段の上り下りが一段ずつしかできない。
→膝を曲げた状態で力を入れることができないため、手術していない足でしか登る事ができない。
膝折れ
→膝を曲げた状態で力が入らないので、少しでも膝を押されたら転倒してしまいます。
麻痺している足を上げてキープすることができない。
→湯船に入る際、服の脱ぎ着は、麻痺している足を手で足を持ち上げます。
尚、歩くことはできます。膝折れしないように膝にロックして歩くように気を付けています。
長時間歩行の際は、膝折れ防止の装具をお借りしています。
本来、装具は購入しなければならないのですが、好意で貸出してくれた病院に感謝です。
回復までの期間・兆候
1日約1ミリずつ神経が回復する。
1ヶ月で3センチ程度しか神経が繋がってこないのですね。
期間は半年くらいから1年を要する※個人差あり
半年くらいから徐々に神経が戻ってきます。戻ってから通常動作が回復をしてきます。
回復の兆候としては、足がピリピリすること
つながりかけの、少ない神経で足を支えるため神経の痛みがでるようです。

 

ということまでで、このひとはもうブログを更新していない。あとはどこを探しても大腿神経麻痺のブログがない。

 

4月3日

あらためて、先生に聞きたい、なんで抹消神経を損傷するような手術になったんですか?時間が長いからと言っても、筋鉤を途中で緩めるとかできなかったのですか?って
あと、この先どんな痛みが襲ってくるのかおしえてください。人それぞれなんていうのはやめて、先生の知る限りはっきり言ってほしい。って
あと、せっかく痛みのコントロールを自分なりに時間配分で決めてたのに、薬剤が品切れって、ありえません。ちゃんとしてください。って

でも結局聞けないんだよね。弱いよ患者なんて。

今日は回復病棟に引っ越しだというのに。もう足が死ぬほどしびれていたくて、気がおかしくなる寸前だった。もう毎日気ちがいになりそうな程痛い。でもリドカイン注のお陰でなんとか持ちこたえる。どうしてあれって効くんだろう。二時間くらいは確実に痛みやしびれが全くない。その後からはじりじりとじわじわと痛みが増してくる。いまもだんだん痛みが出てきている、同室の方と話をしていたらしばらくは我慢できた、こうして日記をつけていても足の特に膝辺りからじわりとぴかりと花火が飛ぶ。こんな痛みは誰もわかってくれないだろうな。こんなに痛くてしびれて辛いことを、同じ思いをしている人たちにや他の誰かの世の中のためになるような事をしてこの経験を役立てないといけないと思っている。

 

4月4日

いま一時間のリハビリ訓練してきた。かなり筋肉がないことにあらためて気がついた。どうなるんだろうこの先、希望と不安がはじめて一緒に感じられた。一生筋肉がないままで三ヶ月後に放り出されてもこまる。自分から好きで麻痺した訳じゃないし、先生もわざと麻痺させたんじゃないと思う。だけど、なんで私なの?もう、こんなに痛いなら飛び降りて楽になりたい。

2回目のリドカイン注やろうかな? 痛みががまんできなくなってきた。

リドカイン注やらないでもすみそう。ベットで横になってたら楽になってきた。今から二回目のリハビリだから、やめようかなうちながらリハビリをやってどこまで動かせるか試してみるのもてだな

 さっきリドカインやらなきゃよかった。3月28日から開始したFNBのPCAを抜いて8日間も風呂我慢してたから、やっと風呂に入ったとき ぴきっつ と神経痛めちゃって、それからふとももの外側が激痛。今はもも全体の痛みで我慢できない。さっきは我慢できる痛みだからやらなきゃよかった。

やっと5時間ぎりぎりで点滴した。腰もいたくなってきて限界だった、看護師さんがとても緊張しながらやってくれた。やっぱりリドカインは最高に効く。めまいはするけど効く。点滴そろそろ終わる。エチゾラムものんでしまったしきょうははやく寝てまた痛かったら点滴お願いする。

 

4月5日

注射終わったのに痛みがぜんぜん引かない、薬品入ったのかな?いつもならめまいがしてきて痛みがスーっと引くのに、おかしいな、夜勤さん入れ忘れてるとおもう。仕方ないので薬のんで眠剤のみました。これでなんとか眠れるといいけど。いまは不安で一杯で眠れない。だって足の麻痺がひどくなってる気がするし。鼠径部は相変わら痛いし、いまは膝の回りがサポーターつけているかのように締め付けられていて眠れない。このまま痛みで夜眠れないなら死んでしまうかも。あしたはリハビリお休みしたい。神経回復し始めるのはまだ早い気がする。教科書にも6週間めくらいからはじめるとも書いてあるのもあったし、でも筋肉があれば早期にというのもあったからどっちかわからないけどいまは不安、痛みが収まらないんだもん、座薬もらおうかな。

 やっぱり、2時に注射した。さっき薬剤師さんがきて、「本当に痛いんですか」「これはがん性疼痛でつかうもので今は例外ですからね」とかいい放った。ぶっ飛ばしたいと思った。ちゃんと末梢性神経障害性疼痛に2014年から使用してんだよ知らないのか?勉強不足なんだよと言ってやりたかった。2年目の薬剤師さんらしいけど、患者さんの心を傷つけてきたんだろうなあの人はたくさん。と思った。可愛そうな人だよ全く。
今日はほんとに足がいたくてリハビリはやりません。無理、だって教科書には6週間後から始めるようなこと書いてあったし今日で4週間めなんだから。痛い、とにかく痛い。助けてください。

 2時に点滴して以来、薬だけでいまのところ疼痛コントロールできている。さっき先生が来てエレベーターで主人とよ鉢合わせしたらしい。「いつなおるんですか」と直談判「いやーちょっとねー」と逃げられたそう、確かに神経の再生にはどのくらいと言えない先生が多いとは思う。ところでいつもこの時間は点滴希望してるんだけど、今日はがまんできる、うれしい。じんじん痛むけど足を外転させてると痛みがよくなる。やっぱり、はやめにデパスを飲む方がいいみたいです、足は外側にクッション入れてリラックス、アロマクリームがいいんだな、大好き アロマ。

 

4月6日

朝は眠剤飲んでも痛いな。いま注射してます、リドカインは少しめまいがするから、ちゃんと効果は出ているのかな。膝上のぴりぴりはいま真っ最中です。あさは効かないのかな・・・鼠径部の痛みもなくなってない、まだ1週間もたってないのに薬剤の耐性ができたのかなる。

 いたい、いたい、そういえば少し前まで座薬つかってたから使ってみようかな。どっちがいいんだろう。リドカインをするのとボル座でやるのと 身体への侵襲は・・・とにかく痛い、痛いまだ5時間しかたっていないのに。うーん 座薬いれてみようか。トラムセット2錠ものんでるのになんで効かないの?ジクロフェナクナトリウムはNSAIDSだからやっぱり使いすぎると腎臓血流障害とかもろもろあるし。いま、点滴してる。リハビリ中痛くなってきた、またふとももの右、突っ張ったあとずーっといたい、悔しくて泣き出してしまって泣き止まらなくなってしまった。リハビリさんを困らせてしまった。よっぽど薬剤師の一言が胸に突き刺さったんだわ。

先生がきた。「点滴4回はちょっとねー、飲み薬あるから、採用できるか聞いてみるから」と思わず有難うございますよろしくお願いします何て頭下げたけど、あとから ???? なんであたし頭下げたんだろうって。だってえあたしこんな思いだれにさせられたの?今の先生の手術でしょう??? ばかみたい私、頭下げるなんて。きょうは悔しくて涙でてばかりの一日だった。なぜ私だけこんなめに。。。。。あれから痛みは落ち着いた。さすったりするといいという研究がありやってみるとぴりぴりとしてくる。群馬大学大学院医学系研究科の柴崎先生というかたによると、TRPV2センサーが「ひっぱったり」「さすったり」などの物理的な刺激を感じて反応することで、神経の突起が伸びていくことを促す効果があるという研究報告があった。その時から毎日さすったり揉んだりしています。そうするととても痛い、ピリピリ、さすったところから電気信号が出てる感じがする。リドカイン点滴はもう1週間やった。そのときは楽でもすぐ痛みが戻ってしまう。リハビリでもさすったりしない。マッサージのようなことは神経が敏感で痛くてできない。今は自分でさする他ない。

 いま、点滴中、12時間ぶり、間隔が少しはのびてる、痛みはこれでよくなって、眠れる。デパスを1mgのんで、トラムセットはやめて リリカだけにした。

 

4月7日

今点滴が終わったサーフロー4日目なので抜いてもらった。次の点滴は午後にしたいだんだん間を空けられるようになればいい。点滴がきいているうちに足をいっぱい動かして運動をしよう。でもリハビリはしばらく安静にする予定です。

痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い、死のうかな、本当に、さっき朝御飯食べている最中にトイレにいきたくなって便したら急にあの痛みが襲ってきてふとももの右がわがつるような痛みから始まってきて、そのあとはだんだんとその痛みが膝の周辺にきたり、ももの裏がわに移ったり、股関節が痛くなったりして最後はあし全体が痛くて、もうⅠ時間以上もこの状態。立っててもいたい、車イスに座っててても無理、やっとの思いでベッドに横になってみた。死にたいなもう。やめてほしい。こんな痛いの。たすけてよーーーーーーーーーーーーー   

 

座薬を使った。効いてるのか効いていないのかわからないけれど今は痛みがひいた。足を電気毛布で暖めてみた。冷たくなっていたからいいかも。とにかく暖めて、さすってみようと思う。これからお風呂の評価です。大丈夫かな、男だったら嫌だな

入浴評価でまた劇痛に襲われた。女性のリハビリがちゃんとしてないから痛くてじっとたってるのに、あっちは記録で精一杯だったようで、みていない。看護師さんに注射をお願いした、部屋に戻って点滴したけれどなかなか留置針が入らず、6回と4回とで合計10回目くらいでようやく挿入。腕が穴だらけ。けど右肘の辺りで微妙に入った、痛みはなんとかいまは消えた。4時のリハビリはなしにしよう。どうせ「患者さんのカルテ情報なんて読んでませんからわかりませんよ」と普通に話してくるひとだし、私が痛いことなんて構わない人なんだもの。頭くる。

 

4月8日

 今日は6:00にリドカイン注をした、いまは快適、このままリハビリまで持てばいいけど。痛みがないときにちょっと足を曲げてみたらやっぱりひともも右片側が突っ張って痛みが出た。ここの信号というか筋肉の繋ぎめが悪さをしているんだなとおもう、はやく痛みがなくならないかな、今日はすごい雨。

 付け根が痛いよやっぱり、じんじんじじん あーもう根こそぎもぎりとりたいくらい。なんで私がこんなめに会わないといけないの?だって悪いのはぜんぶ先生じゃん、最初から 問題の部分を見つけてたなら何とかするべきだったじゃん  ん ? まてよ よーく考えよう。残った 骨でカバーを作ったとしてもそのときの先生の知識じゃ、アロンアルファ何て言う発想はないから下手するととれているかもしれない。そうするとまた痛くなってきて おかしいと受診など始まるとまた病院を休んだり迷惑をかける。そもそもアロンアルファを知らないのが意味わからないし で、学会になんてもちろん登録すらしていないから、手術方法は 反対側の足の腸骨を持ってきて、つけるけど、それもまたとれる と そうなると、 また 痛みが出て 受診して とれてるのがわかって、そこでようやく 学会で 議題に上がる (うまくいって2018年2月) いろいろ会わせて考えると、納得はしていないけど、だんだん弱気になってしまいそう。

 点滴中にハビリやって来て、この痛みで普通にやろうとか言いってきた。電カルみてないからとんちんかんなことばかり話してきて、勉強不足。前のリハビリさんの方がよっぽどいろんなこと知ってたからといったら「えーそーなんすかー、同期だったけどそんなやつじゃなかったですけどぉ」だって、あいつ絶対に反省してない。リハビリ中に先生やって来て「電気の信号がいま活発に出てきてるんだとおもうんだけど」「 FNB もう一回やるか、リハビリできるようになるし 」「いまの点滴、外科で使うやつだからなあ せめて6時かんは開けてもらわないとな 」と言ってきて 月曜日 やることにした。

 やばい、もう生きていかれないかも、痛い、本気で死ぬかも。トイレにいけなくなってしまった。いまは尿器でやっととっている。なにをしても右足がつってしまう。膝の辺りや太ももが一度つったら1時間以上は続く。地獄だ。本当に地獄。あした一日の辛抱だけど大丈夫かな。

 

4月9日

排便でトイレに行って痙攣した。1時間の苦しみがまたもや襲ってきた。急いで点滴看護師さん呼んだけど15分後に到着、その頃すでに私は痛くて失神していた。これでも超特急だったんですと看護師、ちょっとこの人何年目か知らないけど遅い。デパスも飲んだし今日は雨降りベット上でずーっと過ごす。もう動くことはできない。この雨のなか自転車で来るあの子は本当にいい子だ 生んでよかった。心から思う 前から何度もひどいこと言ったことがあったけれど、ごめんね 本心じゃないんだよ そのときは じぶんのことで誠意一杯で辛いから 悪いことばをいってしまうんだよね あのこが大好き 勉強嫌いでも、部屋が汚くても 無精でも 太ってても いい子だ 誇りに思うよ。心から。ごめんね悪いお母さんでね。

 ほんとに何度も思うけどどうしてこうなったのだろう。ねっとでもいろいろしらべるけど

坐骨神経・大腿神経障害について

人工股関節置換術は、は下肢の知覚や運動をつかさどる神経(坐骨神経、大腿神経など)の近くで手術操作をします。
当然、これらの神経に障害を与えないように十分注意して行いますが、人工股関節置換術後に手術側の下肢、あるいはまれに反対側の下肢にも異常知覚や感覚低下、運動障害などの神経障害徴候が出る場合があります。
多くの場合は一過性ですが、回復までにある程度の時間がかかったり(6ヶ月ほど)、非常に稀ですが、完全に回復しない場合が(約0.25%)あります。
手術後、定期的に診察を行うことは、どんな小さな問題でも、早期に発見する為にはとても
重要ですので、人工関節置換術を受けられた方はかならず定期的に受診されることを勧めます。

だそうです。完全に回復しない場合はどうなるのですか?ねえ先生?

 

4月10日

きのう、点滴2回で終わった。トイレにいったときと。午後のリハビリで ケイレンを起こして。リハさんいわく、筋肉が固くなってないから痙攣してるわけじゃないらしいが私的にはケイレンのときの痛みとそっくりなんであえてそういってる。

いまは ズンズン と 鼠径部 への痛みがあって 太ももが ぴくぴくケイレン始まってきている。鼠径部の痛みとももの痛みが 合体してくると もう我慢できなくなってくる いま 点滴するか 迷ってるけど とっとく まだ あぶないから

 きょうはいたってゆっくりなリハビリでした、わたしがトイレにいこうとして痛みが増強して点滴を打ちました。鼠径部をマッサージすると痛みがすごくよくなる。

 やっぱり、ネットでは大腿神経麻痺は術中の医療ミスとあった。

 

大腿神経は第2~4腰神経から起始し,腸腰筋内を走行する.本症例は手術中に腸腰筋内を走行中の大腿神経が骨盤腔内で手術助手に開創鈎で間接的圧迫を受け,大腿神経麻痺をきたしたと考えられた.手術操作に起因すると考えられる術後大腿神経麻痺の発生率は,開腹手術で0.17%と報告されている1).術後大腿神経麻痺は鼠径ヘルニア修復術,人工股関節置換術,産婦人科手術に多く,虫垂切除術ではまれといわれている2).大腿神経麻痺の臨床所見としては,腸腰筋を走行中に大腿神経が障害を受けると大腿四頭筋,縫工筋,恥骨筋の麻痺から歩行時の膝崩れ(膝関節伸展不能),股関節屈曲力の減少と大腿前面から下腿内側の知覚障害および膝蓋腱反射の減弱もしくは消失が認められる3・4).確定診断を得るためには筋電図が必須であるが,通常は臨床所見と神経学検査で脊椎麻酔後の神経障害との鑑別診断が可能となる4).原因の鑑別診断として脊椎麻酔後では,穿刺針による神経障害5)や感染による神経障害6),脊髄梗塞7),―一過性の神経症状(TNS)8),脊髄硬膜外血腫9)を除外する必要がある.本症例では,腰椎MRIにて血腫,梗塞の存在が否定された.穿刺時および局所麻酔薬注入時に感覚異常を認めず,第2~4腰神経から出る神経根のうち大腿神経を構成する神経のみを穿刺針が障害したとは考えにくい.発熱もなく頸部硬直など髄膜炎を疑わせる症状は認められなかったことから髄膜炎やクモ膜炎は否定できる.脊椎麻酔後のTNSの発生率はリドカインに比べブビバカインでは非常に低い8).また,TNSが発生しやすい体位(切石位や足を屈曲する体位)ではなく8),症状が一側性であることから否定的と考えられた.筋電図において大腿神経支配の大腿長筋の低振幅を認めたことから大腿神経障害の存在を示唆している.以上述べてきたことにより本症例は腰筋内を走行中の大腿神経が開創鈎による間接的圧迫を受けたため,大腿神経麻痺をきたしたと推察できる.開創鈎による術後大腿神経麻痺は比較的予後は良いと報告されている4).われわれは本症例に対して,神経再生促進目的にビタミンB12,ステロイド,神経栄養血管の血流増加のためにプロスタグランジンE1の投与および硬膜外ブロック,筋萎縮防止のためのリハビリテーション,鎮痛薬としてNSAIDの投与を行った.このほかに,高酸素療法が神経再生促進に有効であるとの報告もある3).鈎による大腿神経麻痺は,脊椎麻酔後では脊椎麻酔による神経障害との鑑別が必要となる.また,術中は適正な体位を維持し術者や手術助手の開創鈎操作に十分注意する必要があると考えられた.文献

 

筋電図検査とは、簡単に言うと、筋肉の活動性を調べる検査です。
筋肉は神経の刺激を受けて働き(収縮)、体を支え、動かしています。筋肉の運動が弱くなると立ったり、座ったり、歩くことも困難になってきます。


この検査では、筋肉の異常が筋肉そのものによる病気(筋肉疾患)なのか、筋肉の働き具合(収縮性)によるものなのか、それとも神経から筋肉に刺激がうまく伝わらないため(神経疾患)なのかがわかります。主に、筋力低下や筋委縮などの症状があり、画像検査で診断がつかない場合に行わる検査です。

 

筋電図検査ってどこでやってるんだろう。

 

 

 

術後4週間めにはいるところで、FNBが効いていないかもと思い、痛くてリドカイン点滴を開始したところだった。ネット上で同じ悩みを持つ人のブログがないかと探し回ったり、先週に引き続き文献を探しては痛みをまぎらわしている。あまりの痛みでリドカイン点滴は1日の限度を越えそうになっていた。薬の指示が抜けていたと医師を恨んでみたり、花火のような激痛に死にたいと何度も思っている。感染予防からFNBを抜いてリドカイン点滴が命綱となってしまったがリドカインも効果がなくなってきてリハビリも続けられない状態となったところに薬剤師の「本当に痛いのか」という涙の質問をされた。なにも信じられずアロマ精油に頼ったり、電気毛布を始めたりしたが自分でやれることもためした。それでもトイレにいくことができなくなってきた。動くと痙攣したような痛みで1時間はその苦痛でうごけなくなる。理学療法士からは「それ痙攣じゃないですよ、筋肉繋がってないですもん」と言われショックに打ちのめされ、こころをズタズタにされてしまった。運よくその理学療法士は5月で転勤してくれてほっとしたが、リハビリは難しくやはりFNBは再開しようということになった。内服薬での痛みのコントロールができておらず本当に日々つらい思いをしている。もう少しなんとかならなかったのかと感じてしまう。